第26回ポルデノーネ無声映画祭・伴奏者マスタークラス参加記録  【記事】

(本稿は、東京国立近代美術館フィルムセンター「NFCニューズレター」第77号(2008年2月1日発行)に寄稿したものに加筆訂正したものである旨、ご了承下さい。)

ポルデノーネ映画祭のことを知ったのは、国立フィルムセンターの岡田秀則氏に伺ったのが最初だったか、それともニューヨーク近郊で御活躍の無声映画伴奏者、ドナルド・ソーシン氏のお話に出て来たのが先だっただろうか。今となってはよく覚えていないのだが、いずれにしろ、私が無声映画の生伴奏という独特な形態の演奏技法に巡り合った2003年当初から、「無声映画専門の映画祭が毎年イタリアで開催されていて、伴奏者の為のマスタークラスが併設されている」ということは耳にしていて、いつか、参加してみたいものだと漠然と思っていた。しかしそれが2007年に実現してしまうとは予想外の展開であった。マスタークラスへの応募者が少ないため、講師陣からの推薦という形に切り替えた今年、講師陣の一人であるソーシン氏が、私を推薦してくださったお陰である。

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Pordenone駅

ポルデノーネ駅

ポルデノーネはイタリア北東部フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州に位置する人口5万人の小さな街だ。ヴェネツィアから電車で1時間、ミラノからだと4時間弱。葡萄畑やオリーブ畑の向こうに見える山並みがだんだん近くなって来たら、そろそろサチーレ、そして次がポルデノーネである。車内では何のアナウンスも無いので、気をつけていないと乗り越してしまいそうだ。

映画祭事務局

映画祭事務局

駅前からまっすぐに延びるマッツィーニ通りを歩いて行くと、5分もしないうちに、街の中心であるカヴォール広場に出る。左手にひときわ目立つ鮮やかなグリーンのカーペットと蛍光ピンクの椅子が出ている建物があり、それが映画祭の事務局だ。中はインフォメーションデスク(英語、イタリア語、フランス語対応)と映画祭参加者の登録受付所になっており、無料で使えるインターネット端末が8台ほど並んでいる。事務所内では無料で無線LANも使える。

映画祭のメイン会場、テアトロ・ベルディ

テアトロ・ベルディ

映画祭の事務局が面しているカヴォール広場は、5本の道が交わっているためにヒトデのような星型をしており、メイン会場のテアトロ・ヴェルディは、そのうちの一本、マルテリ通りを2分ほど歩いたところにある。新築のモダンなデザインの多目的ホールで、映画祭の他、コンサートや演劇にも使われているとのこと。映画祭の会期中は、夜になると、このファサードに、上映演目の抜粋をコラージュしたプロモーション映像が夜中まで投影され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

夜のテアトロ・ベルディ

夜のテアトロ・ベルディ

10月6日(土)

テアトロ・ベルディ内2階ロビーから1階を見下ろす

2階のバーから1階を見下ろす

映画祭オープニングの今夜は、今年の映画祭の目玉の一つである『嵐の中の孤児 (1921)』(G.W.グリフィス)が上映される。今年2月に惜しくも亡くなられたジョン・ランチベリー氏のスコアを、ティモシー・ブロック氏指揮の下、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア交響楽団が演奏するというもの。無声映画をオーケストラの生伴奏で観るという体験自体が私にとっては初めてで、映画祭のしょっぱなから強烈な洗礼を受ける。

上映後には会場2階のバーで簡単なレセプションがあり、ソーシン氏に連れられて、あちこちご挨拶に回る。このパーティーの時点で初めて分かったのだが、マスタークラス自体は、2日後の月曜日に開講なので、明日(日曜日)は一日フリーであった。マスタークラスの予習も兼ねて、一日、先生方の演奏を聴けるだけ聴いておこうと思う。

10月7日(日)
前夜、ホテルに戻り、映画祭のプログラムを眺めながら、どの上映を観に行こうかと考えているうちに、眠ってしまったらしい。気付いたら朝、それもお昼に近い朝だった。時差と長旅の疲れで鉛のように重い身体を引き摺るようにしてテアトロ・ヴェルディに赴き、午後2時から真夜中まで、ほぼぶっ続けで計6本の無声映画を観る。どれも生伴奏付きで、連弾あり、独奏あり、子供たちのリコーダー合奏ありと様々で楽しめた。しかし一日にこんなに映画を観たのは生まれて初めてだ。

10月8日(月)
ポルデノーネの商工会議所が入っている建物の2階に、美しいサロンのような部屋があり、そこがマスタークラスの会場になっている。部屋の前方の小さなステージに、グランドピアノとDVDプレーヤーとモニター用TVがセットされ、観客用にも、プロジェクターとスクリーンが用意されている(クラスは一般にも公開)。 “クラスメート”のロマーン・ザヴァダ君、そして主任講師のニール・ブランド氏にご挨拶して、いよいよマスタークラスの開講だ。

マスタークラス会場

マスタークラス会場

ブランド氏の世代が、彼らの先達から学んだ知識・技術を、次なる世代のピアニスト達に伝えたいという熱い気持ちから始まったというこのマスタークラス。一番の焦点は、「一度も見たことの無い映画に初見でいきなり即興の伴奏を付けることができるようにする」ということ。勿論、ビデオやDVDのある今日では、事前に作品を予習できるケースも少なくないのだが、それでも、映画祭などでは、滅多に手に入らない貴重なプリントが上映されるケースも多く、事前の資料入手ができない状況も未だに珍しくない。また、ライブ演奏である以上、初見であろうと、何度も伴奏した作品であろうと、上映は常に作品と「出会いなおす」という場であり、その一度しかない映像と音楽のコラボレーションのスリルこそが、無声映画生伴奏の醍醐味であるとも言える。となると、やはり、初見の映像から瞬時にニュアンスを読み取って音楽に翻訳できるという技術は、是非とも身に付けておきたいものだ。

映画祭の最終日には、受講者それぞれ1本ずつ、公式上映の伴奏を担当することになっている。勿論、その作品は、本番まで見られない。つまり、マスタークラスの締めくくりに、この5日間で学んだことを早速実践できるというわけだ。

5日間のマスタークラス期間中、最初の4日間は、公式伴奏者の面々が日替わりで講師を務め、最終日には、ブランド氏が、受講者それぞれが担当する作品についての解説や分析など、準備の手助けをしてくれるという。

早速、ブランド氏が持参した短編無声映画コレクションDVDから、20~30秒の短編をいくつか続けて再生し、それにまずはロマーン君がどんどん伴奏を付けていく。3~4本終えたところで私に交代。今度は、同じ作品に、私なりの解釈で伴奏を付けてみる。それを聴いていたロマーン君が、またバトンタッチして、一回目とはまた違った解釈で伴奏する。ウォームアップができたところで、『最後の人 (1924)』(F.W.ムルナウ)から、いくつかシーンを抜粋して、繰り返しいろいろな解釈の伴奏を付けるエクササイズを続ける。

ブランド氏が、少しずつ、ヒントやアドバイスを言って下さる度に、映像の見え方が変わって来るのがとてもエキサイティングだ。映像を“先読み”して行くためのヒント、映像には「環境」「登場人物」「その場に流れる感情」という三層のレイヤーがあると考え、そのどれか一つを選んで音楽に翻案していくというテクニック、いかに聴衆に安心感を与える演奏をするか、等々…。しかし、中でもブランド氏が最も強調されたのは、登場人物への感情移入を忘れないこと、常に彼らへの思いやりと共感を持って演奏する、ということ。音楽のことは忘れて、ひたすら画面に見えていることに感情移入すれば、弾くべき音楽は自ずと指から溢れて来る、という氏のメッセージは、氏自身の変幻自在な実演によってますます説得力を持つ。

10月9日(火)
昨日初めて聞いたのだが、今朝は地元の小学生を対象にしたチャップリン上映会があって、我々マスタークラス受講生が早速伴奏をすることになっているらしい。という訳で、半信半疑のまま、朝9時にシネマゼロという会場へ。

出演直前、やや緊張気味の受講生二名

やや緊張気味の受講生二名

ここはポルデノーネの街の中心部からはやや外れていて、カヴォール広場からおよそ徒歩10分程度の距離だ。学校の講堂という感じのスペースで、高さ1メートルほどのステージ上にピアノと大きなスクリーンが設置されている。収容人員は500人ぐらいだろうか。小学校1~2年生と見受けられる子供たちで満席。

演奏直前

演奏直前

我々受講生二人の他、ブランド氏と、木曜日に講師を務めてくださるガブリエル・ティボドー氏も一緒である。チャップリンの短編を4本上映するので、一人1本という訳だ。ティボドー氏が『チャップリンの番頭』、ロマーン君が『チャップリンの勇敢』、私が『チャップリンの霊泉』、ブランド氏が『チャップリンの移民』を担当することに決まり、あれよあれよという間に自分の出番になり、あっという間に終わってしまった。何を弾いたのか、全く覚えていないが、あまりくよくよ反省する間もなく、急いで、マスタークラスの会場へ。

本日の講師はドナルド・ソーシン氏とスティーブン・ホーン氏。昨日と同様に、お二人が持参したDVDから抜粋し、初見で即興の伴奏を付けて行くのだが、ストーリー性のある短編ばかりだった昨日とは違い、ソーシン氏が一本目に持って来たのはなんと、記録映画。船が川を進んで行くうちに奔流に現れて転覆しそうになる、というだけのシーンなのだが、これがなかなか難しい。ストーリーが無い分、映像から読み取れる情報にマッチした音楽でなければ、見ている方は違和感を感じてしまうのだ。

ソーシン氏からは、どんな映像が来ても咄嗟に適切なスタイルを演奏できるように、日頃から意識してジャンルの引き出しを増やしておくことの重要性、そしてテンポやスタイルが持つ心理的ステートメントについてももっと意識をするようにとのアドバイスをいただく。

ホーン氏は、実際にご自身が後日公式上映で伴奏する予定の作品から抜粋を持っていらした。自分でもどう解釈したら良いものか迷っているという場面を、ロマーン君と私がそれぞれに伴奏し、映像のどの部分から解釈してそういう伴奏をしたのかというのを説明するのだが、これには、会場にいらした他のピアニスト達からも活発な発言があり、各々のアプローチの違いが分かって非常に興味深かった。

10月10日(水)
本日の講師はジョン・スウィーニー氏とガブリエル・ティボドー氏。

スウィーニー氏は、初日にブランド氏が取り上げた『最後の人』や、短編集DVDを教材に、どうやって一台のピアノの中で多様性を持った音楽を作っていくかについてや、「弾きすぎない」こと、そして先を読みすぎないこと…今起きている映像をしっかり見て、そこから音楽を作って行くことなど、ついつい弾くことに気が急いて忘れてしまいがちな基本について、じっくり考察を重ねていく。

ティボドー氏のセッションは、打って変わって、非常に実用的な「無声映画伴奏者のサバイバルキット」。頼れる特殊奏法や、おきまりの効果音など、知っておくと便利な技をこれでもかと繰り出す様には、観客席にいた他のピアニストからもいろいろな質問が飛び出し、非常に盛り上がる。しかし、一番印象的だったのは、氏の、「音楽家でいられるということはギフトである」というメッセージ。我々は、恵まれた存在なのだ、と。「だからこそ、その能力をフルに活用して、聴衆に音楽を届けるのが我々の義務」。

午後8時半から、ブランド氏伴奏の二本立て、『All At Sea (1933)』(アリステア・クック)と『Der Madchenhirt (1919)』(カール・グリュン)を観る。終演後、テアトロ・ヴェルディの外で先生方と立ち話をしていたら、明日の午後、お隣のサチーレ市にあるピアノメーカー「ファツィオリ」(テアトロ・ヴェルディの公式ピアノサプライヤー)の工場見学に行けるかも知れないという。楽しみだ。

10月11日(木)
本日の講師は、ギュンター・ブーフヴァルト氏とフィリップ・カーリ氏。

ブーフヴァルト氏は、ピアノだけでなくバイオリンも弾く方で、身体性を重視した独自のアプローチを紹介して下さった。結局のところ、演奏も「演技」なのだから、ピアノに向かってできることが、ピアノ無しでできないわけがない。と頭では分かっていても、いざとなると身体は動かない。ブランド氏が、「無声映画においてはピアニストも役者の一人である」とおっしゃっていたコメントと併せ、大いに考えさせられる。

カーリ氏は、ご自身がフィルム修復もおできになるアーキヴィストでいらっしゃるだけに、映画学の知識の必要性を懇々と説かれる。実際、最初の1フレームを見ただけで、どれだけの情報を読み取ることができるかというのを、サンプルに持参された『Captain Salvation (1927)』(ジョン・ロバートソン)の冒頭シーンでデモンストレートして下さったが、いやはや脱帽であった。確かに氏のおっしゃる通り、(よほどの駄作でない限り)監督はそういうところまで考え抜いて各ショットを撮っているのだから、我々読み取る方も、それなりの知識と教養が無ければ、受け取れるべきメッセージも受け取れず仕舞いになってしまう…。

お隣サチーレ市のファツィオリ・ピアノ工場見学

ピアニスト一同、お隣サチーレ市のファツィオリ・ピアノ工場見学

10月12日(金)
いよいよ、マスタークラスの成果が問われる公式上映の伴奏が明日に迫ってきた。

私達の担当予定作品は、どちらも、ドイツから参加しているキュレーターが持参した作品だということは分かっているけれど、先生方も誰一人観たことがなく、カタログに載っているあらすじも、あらすじというよりは映画の背景についての説明なので、ほとんど要領を得ない。

ブランド氏の指導を受けるロマーン君

ブランド氏とロマーン君

結局、ブランド氏の判断で、私が一本目(朝9時にテアトロ・ヴェルディ(オーケストラピットの中で演奏))、ロマーン君が二本目(午後2時半のシネマゼロ、ステージ上にて演奏)を担当することになった。

今日のクラスは、明日の上映作品について、カタログから入手できる情報を元に、考えられる限りの場面やストーリーを想定し、それに合わせて実際に弾いてみる、という作業を中心に、実際に一本の作品を通して演奏する際に必要な注意事項をいろいろと教えていただく。

ソーシン氏、マスタークラス最終日、ブランド氏、ロマーン君と。

マスタークラス最終日、ソーシン氏ブランド氏、ロマーン君と。

ソーシン氏、

たとえば、上映の最初には、“序曲”として、きちんとメロディーのある“曲”を弾くことで、劇場の中の空気を自分の色に染め、聴衆の注意を引いていくことや、音楽としての整合性にとらわれず、映像を見た瞬間の自分の直感を信じること、などなど。そして一番強調されたのは、とにかく手元を見ず、できるかぎりスクリーンを見ること(ちょっとでも目を離した隙に、致命的なサインを見落とす可能性がある)、そして、「The End」のサインが出たら、そこで演奏を終えること…エンドサインの後にだらだら弾かない、という二点。どちらも、非常に基本的でありつつ、演奏に夢中になると、ついつい忘れがちな重要なポイントである。

10月13日(土)
いよいよ我々受講生が公式上映伴奏を担当する日。6時起きで、朝食もしっかり摂り、準備は万端。少しでも会場のピアノに触れる時間があればと思い、8時にテアトロ・ヴェルディに行ってみるが、開いていない…。しばらく時間を潰して、8時半に会場に戻ると、スタッフの姿が見える。事情を話して入れてもらい、オーケストラピットに下りたところ、まだピアノは定位置に着いておらず、裏方さんたちが忙しそうに転換をしている真っ最中である。開演30分前にこれで大丈夫なのだろうか…。

オーケストラピット内、ピアノがようやく定位置に

ピアノがようやく定位置に

私の担当する作品、『Der Herr des Todes (The Master of Death) (1926)』(ハンス・スタインホフ)は、インタータイトル(無声映画の中で、ト書きや台詞が挿入される文字だけの画面)がドイツ語なので、私はヘッドフォンで英語の同時通訳を聞きながら演奏しなくてはならない。そのための機材がオーケストラピットに届いたのが開演10分前、ピアノが定位置に着いてモニターテレビが置かれたのが開演5分前。そうこうしているうちに、映画祭ディレクターのデイヴィッド・ロバートソン氏がステージに上がって、私の紹介をして下さっている。が、ふと気が付くと譜面灯が無い!(譜面のためではなく、鍵盤上の手元を照らすために必要。)どうやら裏方さんが忘れてしまった模様。困ったが、幸い、モニターテレビからの明かりで、なんとなく、どこが白鍵でどこが黒鍵かぐらいは見えそうだ。不便だけれど不可能ではない、と腹をくくったところで、会場の照明が落ち、上映が始まった。

モニターテレビの明かりでなんとなく鍵盤の白黒は見える…気がする

なんとなく鍵盤の白黒は見える…気がする

無声映画の上映にハプニングやトラブルはあって当たり前と思え、と言われる。映写関連のトラブル(映写スピードが違う、コマが飛ぶ、逆回しになる、リールが間違った順序で上映される、上映が止まる等)は勿論、フィルム自体に問題があることも珍しくないという(インタータイトルが抜けている、もしくは読めない、紛失してるコマやカットがある、フィルムの保存状態が悪くて画面の中で何が起きているのか全く見えない、作品の途中で終わっている、等々)。だから、何があっても動じず、演奏を続けるだけの覚悟と根性を持って臨むべし、と。なので、いろいろとアクシンデントはあったけれど、私は弾き続けた。そして(私も含め、観客みんなが「えっ?」と思うような、唐突な結末だったけれど)、ブランド氏の教え通り、エンドサインが出たところで、演奏を終えたのだった。

ピット内のピアノから4階席を見上げる

ピット内から4階席を見上げる

演奏終了後、ブランド氏がピットに!

演奏終了後、ブランド氏と

ピアノから立ち上がり、オーケストラピットから客席を見上げる。劇場の4階席までが全部見える。やり遂げたんだ…一度も見たことの無い映画を、初見で、伴奏し通せたんだ。実際、自分にできるとは思わなかった。ブランド氏が、ソーシン氏が、カーリ氏が、ブーフヴァルト氏が、みんなピットに入って来てねぎらって下さる。ロマーン君がピットの上からそんな私達の写真を撮ってくれている。みんな、皆さんのサポートのお陰だ。でなければ自分一人の力でなんてとてもできなかった。拍手がこれほど嬉しかったことはない。ポルデノーネに来られたことに、本当に、心から、感謝していた。

シネマゼロにて演奏開始直前のロマーン君

シネマゼロにて演奏開始直前のロマーン君

午後のロマーン君の演奏も素晴らしかった。彼の担当した『カウボーイ公爵 (1925)』(ジョー・メイ)も、私の担当作品に負けず劣らず(寧ろ、私のものより更に)破天荒なストーリー、しかも106分という長尺だったが、物語の凡庸さを彼の音楽が何度も救い、観客を飽きさせず、引き込んでいくことに成功していた。 “クラスメート”として、本当に嬉しく、誇らしかった。

一日の上映が全て終わった後は、テアトロ・ヴェルディの向かい側にあるポスタ・カフェに集まって、閉店までグラスを傾けながら、いろいろな話に花を咲かせるのが習わしだ。映画祭最終日、私達も、自分たちの本番を終えてすっかりリラックスし、先生方と談笑する。名残惜しくて、皆、なかなか席を立たない。。

最終日のメインイベントも終わった後の深夜零時に、短編二本立てという上映が組まれていた。これが本当の第26回ポルデノーネ映画祭の最終上映である。伴奏を担当したのはスウィーニー氏。演奏を終えて、深夜1時過ぎにポスタ・カフェに合流した彼は、ロッキーのように両手を高く掲げ、「2007年のポルデノーネ映画祭、最後の和音はFメジャーでした~!」と宣言し、それに答えてソーシン氏とカーリ氏が「では、来年のポルデノーネ映画祭の最初の演奏はFメジャーで始めよう!!」とグラスを揚げる。

マスタークラスの先生方が見せてくれた一番の宝物は、この、第一線で活躍する無声映画伴奏者たちの間に流れる連帯感…お互いに称え合い、学び合いながら、無声映画という特殊な媒体を愛し、次の世代に伝えるためには労力を惜しまない特別な同志たちの姿ではなかったかと思う。

我々の世代も、20年後、30年後に、こうして、共にポルデノーネで杯を交わしながら、次なる世代に経験と知識をシェアできるようになっていることを、心から願いたい。マスタークラスの先生方からいただいた溢れるほどの励まし、サポートとインスピレーションを胸に、これからの自分への気が遠くなるほどの宿題と共に、ポルデノーネを後にした。I’ll be back somedayと、誰にとも無く、声に出さずに誓う。

 

2008年 02月 01日 投稿者: Makia Matsumura
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